校章
飯田西中学校校章(校章の制定 昭和28年4月)
風越山を北限として生える天然記念物ベニマンサクの葉3枚に3本のペンを配した。
風越山を背にした西中の地域を表すベニマンサクは、秋に開花し春に実を結ぶ。
厳しい寒さに耐えて実を結ぶのであり、これはよく困難に耐えて実を結ぶという、無言の教訓に通じるものがある。
ペンはもちろん学問・文化をあらわし、飯田西中学校の象徴としてふさわしいものとなっている。
風越のみ山ふかく ここをしも北の涯 べにまんさく
まろやかなる葉よ 心のごと朝に映え 白銀に波うつ
秋たけて ものうらがるるとき 見よ 紅の花 清楚なる
霜あられ烈しくとも生命つよし 春きたりなば 果をぞ結ばむ
-第2代校長 唐沢正作先生詠む-
校長
小林 康彦
生徒数
全校生徒数 209名(令和5年4月1日現在) 1学年2クラス 2学年2クラス 3学年2クラス 特別支援学級4クラス 計10クラス
沿革
令和4年度 | 信濃教育会全県研究大会「総合」「数学/理科/保健体育」公開 探究タイム・全校福祉講座、スイミングスクールでの水泳学習を行う
美術部とパソコン部の新入生募集を停止し、当面は〔女子バスケットボール・女子バレーボール・男子バレーボール・軟式野球・サッカー・卓球男女・吹奏楽・人形劇の 8 部活動〕としていく。 |
令和3年度 | 日本教育工学協会(JAET)より「学校情報化優良校」に認定される 防災体験学習・地域貢献活動、部活動セミナーを行う
第25代校長 宮下寿男先生着任 |
令和2年/元年度 | あいさつ運動キャラクター「ふうくん」誕生
新型コロナウイルス感染症拡大による臨時休校や分散登校がある |
令和元年度 | 第24代校長 北原雅浩先生着任 |
平成29年度 | 第23代校長 原 勝人先生着任 |
平成28年度 | 創立70周年記念式典 |
平成26年度 | 第22代校長 市瀬 徹先生着任 |
平成24年度 | 第21代校長 中塚賢一先生着任 |
平成21年度 | 第20代校長 藤松冬樹先生着任 |
平成19年度 | 5日間連続の職場実習を含むチャレンジWEEKを、各学年で実施 |
平成18年度 | 第19代校長 田添莊文先生着任 |
平成17年度 | 愛鳥活動に対し、環境大臣賞受賞 |
平成16年度 | 第18代校長 倉田利宏先生着任 |
平成15年度 | 昇降口前の岩の上に置いてあった像が取り外され、学校内に移される |
平成14年度 | 第17代校長 北澤明先生着任 かざこし祭テーマが『今を見つめよう』に決まる |
平成13年度 | 『週五日制』が実施され、毎週土曜日が休みになる |
平成12年度 | 第16代校長 田中秀央先生着任 かざこし祭テーマが『一歩ずつ踏み出そう』に決まる |
平成11年度 | かざこし祭テーマが『上を向いて歩こう』に決まる |
平成10年度 | 各クラスごとに計画を立て、地域に役立つボランティア活動を行う |
平成9年度 | 第15代校長 小野雅思先生着任 いじめをなくすために『いじめ追放宣言』を出す |
平成8年度 | 文部省生徒指導総合推進校発表会 武道場竣工・50周年記念式典 |
平成7年度 | 50周年めざして校舎内整備新捗する |
平成6年度 | 第14代校長 玉本孝光先生着任 県教育委員会指定同和教育研究協議会開催 |
平成5年度 | 全学級にオルガン配備、歌声の響く学校 |
平成4年度 | 9月より第2土曜日が週休日 |
平成3年度 | 第13代校長 塚田清寛先生着任 各種大会で好成績 |
平成2年度 | 中国引き揚げ学級を開設 |
平成元年度 | 高等学校体験学習始まる |
昭和63年度 | 第12代校長 塩澤知治先生着任 男子バレーボール部県大会3位入賞 |
昭和62年度 | 体育館の緞帳PTAの協力により設置 |
昭和61年度 | 長野県図書館大会本校で開催 |
昭和60年度 | 第11代校長 北城節雄先生着任 プール竣工、校庭拡張、造園完成 |
昭和59年度 | 新しい革袋に新酒を 第1雑庫から出火 |
昭和58年度 | 第10代校長 新井康史先生着任 新校舎へ全面移転、新材の香りが匂う |
昭和57年度 | 新校舎建設に向け、さまざまな工事が進歩 |
昭和56年度 | 無人購買始まり差額ゼロ100日を達成 |
昭和55年度 | 中体連水泳全国大会、佐藤明子さん出場 |
昭和54年度 | 第9代校長 矢崎直人先生着任 |
昭和53年度 | 上田薫先生第1回公開授業研究会開催 |
昭和52年度 | 生徒会愛鳥部、林野庁長官表彰・他受賞 昭和31年制定の「愛校歌」を「校歌」として制定 |
昭和51年度 | 第8代校長 横田寛先生着任 30周年記念事業実施 |
昭和50年度 | 学校の無人化 通知表の形式改訂 |
昭和49年度 | 第1回かざこし祭挙行 |
昭和48年度 | 第7代校長 白鳥英人先生着任 生徒会の歌制作 |
昭和47年度 | 中体連全国大会に女子バスケットボール出場 |
昭和46年度 | 学問の西中「創造性の開発」研究発表会 |
昭和45年度 | 昭和27年より続く大平寄宿舎閉鎖 |
昭和44年度 | 第6代校長 竹村毅先生着任 25mプール竣工 |
昭和43年度 | 本校編纂の新しい国語教育、「文型教育」出版 |
昭和42年度 | 新昇降口完成 多彩なクラブ活動 |
昭和41年度 | 開校20周年記念体育館新築 |
昭和40年度 | 第5代校長 宮澤千章先生着任 図書購入資金集めのため廃品回収実施 |
昭和39年度 | 第4代校長 奥村与象先生着任 全国読書感想文コンクール総理大臣賞 |
昭和38年度 | 「緑と野鳥の学校」を願って、園芸部と愛鳥部が発足する |
昭和37年度 | 生徒増加にともなう施設設備の増築、備品設備充実の要望書を提出 |
昭和36年度 | 下伊那地方に集中豪雨(36災害)設立以来の大被害(7日間休校) |
昭和35年度 | 第3代校長 白上元一先生着任 西駒ケ岳登山開始 |
昭和34年度 | 念願の女子生徒の制服制定 |
昭和33年度 | 六割近くが高校進学希望 |
昭和32年度 | 豪雨のため浸水、土砂流入 |
昭和31年度 | 愛校歌(現校歌)制定 |
昭和30年度 | 大平中学校と統合し広域学区 |
昭和29年度 | 今宮球場で、野球・排球クラスマッチ |
昭和28年度 | 校章制定。校友会を生徒会に改組 |
昭和27年度 | 松川入(地名)より生徒10名入学 遠距離のため寄宿舎より通学 |
昭和26年度 | すべての学校建築が終了し、学問の殿堂が完成 |
昭和25年度 | 理科室・家庭科室の完成 校庭整備がなされ大運動会実施 |
昭和24年度 | 「真理きわめんたゆみなく」の校風樹立を 第2代唐沢正作校長着任 |
昭和23年度 | 現在地に木造2階建ての新校舎が完成 |
昭和22年度 | 本校の歴史は丸山小学校集会室からスタート 初代大沢和夫校長着任 |